熊本日日新聞社取材 ・ダンボールリサイクル ・みなし仮設支え合いセンターへ飲料水の提供

□本日の活動内容
・熊本日日新聞社取材
・ダンボールリサイクル
・みなし仮設支え合いセンターへ飲料水の提供

□参加者
松岡、竹田、沖田

■本日は熊日新聞社の取材を受けました。お話したのは、かつて益城で活動団体の情報共有の場として活用されていた「益城がんばるもん協議会」についてですが、そもそもとして僕の熊本入りからの話となり、これまでの益城の動きと合わせて友救の会の動き、協議会の働きをお話しました。
僕は神戸出身で、阪神淡路大震災を小学生の頃に経験。実家の被害は軽度ではありましたが、被災者として求めることと、支援者がして下さることのギャップに、むしろ押し付けられるような善意に対して反感を抱いてしまいました。
「思いやり」も、押しつけてしまっては「重い槍」前から引っ張るんではない、後ろから押すのでもない。ただ横で、そっと手を添える…。それが「寄り添う」ことだという主眼で活動を続けてきました。
とはいえ、熊本地震の前震から活動をしていた訳ではありません。
前震のあとは、熊本に移住して約5ヵ月。土地勘も人知もない自分には出来ることはないと、5月に控えるコンサルタントとしとの独立と長野のNPO事務局長という新しい未来へ目を向けていました。

しかし、神戸の頃に抱いた「支援者の思惑を押し付ける活動においての受援者の被害」について、それを知る者として動かないことにやましさもありました。
本震発生直後、乳幼児が餓死したという外国のニュースを、通りすがりの道端で耳にし、気づいたらトラックのリース屋さんへ向かっていました。
基本的に個人への貸出はしていない業者御用達のリース屋さんですが、活動に使いたいと申し出ると快く貸出してくださり、活動スタート。
はじめは「やらなければならない」想いでスタートした活動が、「やりたいこと」となり、「やれること」にもなっていった。その三拍子が揃い始めてからは次々と助けも入り、できないことは無いというくらいに活動の幅を広げ、少数での活動ながら益城において中心的な団体へと成長しました。

建設屋として職人技と探究心を磨いてきた僕は、コンサルタントとしての経験も加味して活動に活かしてきました。
被災地は、支援団体や行政機関、住民などの大きさや形の違う様々なギアで構成されています。熊本という大きな時計仕掛けの中で、それぞれのギアがバラバラに動いている…。
友救の会は時計仕掛けの中で小さなギアです。でも小さなギアほど、大きなギアを動かすことが出来る。様々なギアと噛み合い、噛み合わせ、時計仕掛け全体の動きに欠かせない小さなギアとなりたい。そして、究極の意味で「小さいけれど欠かせないギア」は「地元住民」です。
「益城がんばるもん協議会」から「みんなのボランティアステーション」へ。
小さなギアが次々と動き出し、全体が噛み合った時、熊本で復興という言葉が現実として受け入れられると信じています。