益城町仮設団地自治会支援(広崎)

□本日の活動内容
(1)益城町仮設団地自治会支援(広崎)

□参加者
松岡、都さん、緒方さん、「よか隊ネット」より土黒さん、高井さん、三池さん、「九州キリスト災害支援センター」より諸藤さん、弓田さん、ボランティア参加の田中さん、伊藤さん

□詳細
(1)益城町仮設団地自治会支援(広崎)「みんなの朝メシ&味噌作り」(松岡記入)
本日は「九州キリスト災害支援センター」担当仮設である、広崎仮設団地での「みんなの朝メシ&味噌作り」です。
広崎での開催には、小池島田仮設団地で「みんなの味噌づくり」を実施してほしいとのご要望があり、実際に住民の方にアンケートをとってみると、希望者数がゼロだったのでした。
しかし、すでに「味噌づくり」のための大豆や麹は購入していたため、急遽他の仮設で希望があるところをリサーチすることになりました。
広崎仮設は以前に祭りのステージ提供でお話をした際、自治会長からご要望を頂いていたので、念のために九キ災担当仮設の全てに確認を取ってもらいましたところ、多少の情報の行き違いはあったものの、無事に開催に至りました。
広崎でも僕と「よか隊」の土黒さんが3時に集会所に集合し、大豆を煮る作業を始めました。この日は雨天が予想されていたので、僕は少し早めに出発して、早めに火を入れようと思い2時に家をでました。
拠点で「味噌づくり」の道具などを乗せているトラックに乗り換え、広崎に行きました。土黒さんも3時前には着いて、そのまま火の番についてくれました。
僕はというと、4月にグランメッセで実施される民間ベースのイベント「イースターパーティー2019」のために助成金申請書を添削するという作業が、前日の夕方に舞い込んだので、その残りの作業を片づけました。
前日も櫛島の朝メシで寝不足だったところ、前日の夜には会社の元請けに呼ばれて出ていたので、ほぼ徹夜でした。しかし21日は「よか隊」の忘年会でもあるので、僕たちよりも「よか隊」の人たちの過労が表情からも見て取れました。
6時半ころになると九キ災の方も来られて、大豆もそのころにはすっかり煮えていたところから、朝メシの雰囲気を存分に味わっていただきました。
九キ災もこれまでは日中のサロンにおなじみの参加者しかこないというジレンマを抱えていたので、朝メシの際の住民の方々の表情一つにも普段とは違うものを感じられたようです。
味噌づくりの時間になると、味噌を作っていたのというおばあちゃんが心配になってきてくれて、集会所でおばあちゃんの指導と緒方さんの講義がありながら、「こんなして作るんだー」「知らんやったー」と興味津々で楽しみながら作ってました。
また、大豆の煮汁である「しょんしょん」を皆さん持って帰り、益城のスーパーで売っている「しょんのみ」の素と併せて自宅で自家製の「しょんのみ」を作るんだと、「しょんしょん」の分けるときが一番賑わっていました(笑)「しょんしょん」とは、僕の解釈では「もろみ味噌」です。
九キ災の弓田さんは住民のお父さんと完全に同一化し、諸藤さんは一年ぶりに住民のおばあちゃんと再開したようで、それぞれにいい笑顔を見る事ができてよかったと思います。
僕はそれ以上に、住民同士で話に花が咲いているのが、嬉しいものでした。
例えば、味噌づくり経験のあるおばあちゃんに、若い奥さんが「しょんしょん」の作り方を聞いていた。お父さんが、スーパーで「しょんのみ」の素が売ってあることに驚き、煮汁を持って帰って作りたいけどスーパーに行く足がないと嘆いていた。あるお母さんが、買いに行くときに言ってくれたら一緒に乗せてってあげると言ったら、お父さんは煮汁を詰める用にペットボトルを家に取りに帰った…などなど。
僕たちは何のために益城の仮設住宅に支援に入っているんだろう。そもそも、支援という定義すら、バラバラの認識を持つ人達が一緒にやっている。
僕はこの光景から、元の近所同士でやっていた当たり前の助け合いの風景を取り戻すための支援なんだと再認識しました。助け合いが日常的にあり、決して特別なことなんかじゃない。日常を取り戻した先に、復興が見えてくる。失った、当たり前すぎて見えなかった日常。それを取り戻すきっかけづくりくらいまでしか、僕たちにはできないんじゃないかと感じました。いついつまでも活動ができる訳じゃない。復旧もままならないうちから、地域福祉を担うべき社会福祉協議会などにバトンタッチしていくべきで、本来ならバトンタッチではなくて今は並走している状態。住民と僕たちではなく、住民と行政でもなく、住民と住民。そこに注力するのが民間だからこそできることかなと感じたのでした。