□本日の活動内容
(1)益城町仮設団地自治会支援(櫛島)
(2)MYP会議(仮名)
(3)みんボラ会議
(4)益城町新ふるさと総合研究所
□参加者
松岡、都さん、緒方さん、「よか隊ネット」より土黒さん、高井さん、三池さん、小林さん、ボランティア参加の田中さん、伊藤さん
□詳細
(1)益城町仮設団地自治会支援(櫛島)「みんなの朝メシ」&「味噌作り」(緒方記入)
本日の「みんなの朝メシ」の参加は8名でした。
今回もおかずの提供があり、住民参加型となっており、また豪華な朝ごはんとなりました。
皆さん、「みんなの朝メシ」が定着してきており、参加されコミュニケーションを取られて朝ごはんを楽しく召し上がられています。普段、介護サービスを利用して来られない方なども参加され、久々に皆さんと会ってご飯を食べるのが楽しいのか、普段より良く召し上がられている様子です。
「朝メシ」が終わりましたら、「味噌作り」です。普段から「味噌作り」を行っている方も参加があり、普段麹から作っているため、麹から作る味噌作りのレクチャーもありました。今回は、麹から作るのは管理が困難であったため、麹は購入した物を使用して作ります。
大豆を潰す際、機械と手動とで分かれて潰していきました。大豆が人肌ぐらいに冷めると、麹と塩を混ぜたのを一緒に混ぜていきます。混ぜていきながら、少し「あめ(大豆を煮た汁)」を混ぜながら良い柔らかさまでしっかりと混ぜ込み、味噌団子を作りました。
味噌団子を、空気を抜くように味噌樽に入れていきます。今回は、大豆を測って均等に分けたつもりですが、少し大豆が多かった様子で、今までより少し多くなりました。少し味が変わるかもしれませんが、美味しくなりますように(≧◇≦)!!
(2)MYP会議(松岡記入)
以前から益城町役場の生活再建支援課と益城町社会福祉協議会と自治会サポート団体とで会議をしているMYP会議です。MYPという名称は、会議の名称が決まっていなかったときに、「益城よかもんプロジェクト」というそれらしいネーミングで仮称していたのが、正式に決まることなくそのまま使用されているだけです。
今のところ、正式名称は「益城町仮設団地自治会サポート共有会議」となってますが、僕らはMYPと呼んでます。
この会議の目的は、「自治会支援団体と行政及び社会福祉協議会が個別ケース含む自治会支援に関する情報共有を行うことで、より効果的に支援が必要な方に行き届くように図る」こととしています。
今日の会議では、かねてより検討されていた次の事柄について話し合われました。
1.災害公営住宅に入居する住民同士での顔合わせ会について
2.仮設団地の住民が減少していく中でのコミュニティサポートの在り方
3.元地住民との交流が図れるアイデアや企画について
4.元地自治会開催のイベントなどに仮設住民を取り込む事例紹介(御船町)
5.災害公営住宅におけるコミュニティサポートについて
6.緊急時通報システムについて
7.家屋補修や新築業者、ハウスメーカーとの契約問題について
8.来年度の自治会サポート業務について
(3)みんボラ会議(松岡記入)
今回から「益城町未来トーク」事務局が管理する「mirai-bako」での開催です。「mirai-bako」は「みんボラ」が主体となって活動することが検討されている益城町社協主導の「復興ボランティアセンター」として借りることが決まっており、借主体は「みんボラ」です。益城町笑店街の入り口に位置し、県道高森線沿いにあることから、「みんボラ」としては地域住民が地域のボランティア活動に触れる機会を増やすことができるのではないかと期待しています。
「みんボラ」での会議はMYPほど個別案件を含まないので、気軽に住民の方に見学をしてもらってもいいかもしれません。マタマツオカガオカシナコトヲイイダシタと言われたらいけないのでこの案はそっと胸に秘めておきます。
今回の「みんボラ」会議では、「復興ボラセン」としての想定される動き方などが話し合われました。
僕たち「みんボラ」としては、「みんボラ」としてのニーズだけでも活動資金や人材などに苦慮しながらなんとか継続して活動しているのが現状で、そこに災害公営住宅への転居や生活再建に伴う引越などの作業系ニーズへの対応を、「復興ボラセン」としてある程度「広く」打ち出したときに、民間が対応できる以上のニーズが舞い込んだ際に、そのニーズが民間として対応していいものかどうかの判断や事前調査なども「みんボラ」が実施することになり、「復興ボラセン」を運営していくことが民間団体の疲弊に繋がるのではないかという危惧があります。
やることは公用性のあることをし、そこを主催するのは社協で、実際の作業や活動は民間団体、資金も民間団体…。そういうことになっては、持続のしようがありません。
益城町は未曾有の大災害が短時間で二度も発生しました。そのことが幸か不幸か、直接死の数が過去の同規模災害に比較して少ないことで、復旧復興が比較的に早く進むのではないかと思われているところがあります。
実際には震災から二年と7か月が経過した今もなお、仮設団地には6割もの方がそれぞれの生活再建に頭を悩ませています。
僕たち支援団体は、そうした現状からまだまだ支援団体やボランティアの必要性を感じていますが、僕たちの想いとは裏腹に、活動する環境としては反比例的に厳しくなってきています。
県の復興基金から各市町村に配られたボランティア活動を推進するための予算も、益城町では具体的な活用方針が決まっていないらしく、僕たちは半分は行政や社協がやることを手伝いながら、その活動原資を自ら調達する必要に迫られています。
(4)益城町新ふるさと研究所(松岡記入)
第5回目となる開催です。第4回目の時に、ふと疑問に感じたことがあり、他の研究生にも同じような疑問があったようで、今回は研究生みんなの意見を総じて研究所としてどのようにあるべきかをぶつけ合う場となりました。
この研究所に初めて参加する機会を得たのは、益城町のとあるまちづくり協議会の会長からお誘いを頂いたのがきっかけで、ボランティア要員として参加していたのでした。
研究生がそれぞれ思い描く益城町の「新ふるさと」の姿。僕はボランティアとしての立場から、益城町には空港とインターが隣接し、大都市圏である熊本市もほど近く、一大観光地である阿蘇や天草にも日帰りで行ける立地条件がありながら、宿泊できる場所があまりにも少ないことが常々不満でもありました。
だいたい、県外から熊本にボランティアに来るかたは、飛行機か車です。どちらも益城町を経由するにもかかわらず、宿をとるのは熊本市内。食事をするのもお酒を飲むのも熊本市内。益城町のために来ているのに、益城町でお金を使えない!というのが、来てくれるボランティアにとっても悩みのようです。
熊本は九州どまんなか。九州横断道路も開通が待ち焦がれます。交通の要衝にあって、九州における大規模災害の先進地でもある熊本は、全国からのボランティアを受け入れるボランティアベースとしての機能を果たせると思っています。熊本を拠点に、九州各県になにかあった際にはボランティアに駆け付けることができ、平時には阿蘇で農ボラなどもいくらでもあります。
宿が少ないことから、「通り過ぎる町」と形容される益城町。僕はそれを逆転し、「日本一宿が多い町」と呼ばれるほどに整備し、九州各県における滞在場所として益城町を位置づけました。
それはさておき、実現可能性は無視してそれぞれのアイデアを出し合っていた初回から、気づけば「とにかく何かやろう!」という動きになっていたことに、自分たちで何か実現しようとは考えていなかった研究生が困惑、妙な空気感になっていました。
そこで、これからの研究所の在り方、最後の町長への提言、そもそも提言に対するみんなのイメージなど、侃々諤々しました。
そして落ち着いたのが、みんなとりあえず「こうなったらいいな」という「新ふるさと」へのイメージを発表する。そしてコンサルタントとして益城町役場に入っているコンサルタントと僕で、みんなのバラバラの「新ふるさと」イメージを、ストーリー性と順番を並べて線にする、という無茶なことでした。
しかし、益城町が持つ特性、暮らす住民意思、それらは益城町の資産だと思います。眠らせている資産をどのように活用し、ストーリーに熱狂し、歯車が精工に噛み合った動きをするかはコンサルタントとしての腕の見せどころです。