震災復興コミュニティサミット・支援物資配布

□本日の活動内容
(1)震災復興コミュニティサミット
(2)支援物資配布

□参加者
松岡、竹田、緒方さん、都さん

□詳細
(1)震災復興コミュニティサミット(松岡記入)
「FacebookJapan」が主催する「震災復興コミュニティサミット」というイベントにパネリストとして参加してきました。
このイベントは、Facebookを活用して災害支援活動を行っている支援団体から、阪神・東北・熊本の各地から1団体ずつをFacebookが招待し、パネルディスカッションを通じて災害時におけるSNSの可能性や期待される効果などを共有し、実際の被災地間での活動者をもつないで、そのつながりを深くしていこうというものです。
(適切な表現でない場合はごめんなさい)
下記、FacebookJapanがプレスリリース用に作成したデータを抜粋して貼ります。
また、イベントのモデレーターである「防災ガール」さんがFacebookページで発信したライブ動画も添付しますので、ぜひご覧ください。

◎プレスリリース(抜粋)

フェイスブック ジャパンは3月1日、兵庫県、福島県、熊本県から震災に見舞われた地域の復興・再建に取り組むコミュニティの代表者らをお招きし、「震災復興コミュニティサミット」を都内で開催しました。サミットでは、フェイスブック ジャパンの長谷川晋代表取締役より、「いいね!」などの数に応じて、復興支援のための寄付を行う「未来につなぐ、いいね!を贈ろうプロジェクト-日常のつながりを有事のちからに-」を実施することを発表しました。
コミュニティサミットは、「コミュニティづくりを応援し、人と人がより身近になる世界を実現する」というミッションを掲げるFacebookのコミュニティを応援する取り組みの一環として、昨年からアメリカを始め、ヨーロッパや韓国で行われています。

Facebookを通じて人々がつながりを深めるコミュニティには、さまざまな種類がありますが、これまで多くの震災を経験してきた日本において初開催となる今回のコミュニティサミットでは、震災からの復興に取り組んできたコミュニティに着目し、「震災復興コミュニティサミット」として開催されました。
サミットではまず、長谷川代表取締役により、今回のサミット開催の背景にある「可能性をつなぎ、かがやく日本へ」という日本オフィスでの注力について述べた上で、日本の課題と向き合い、コミュニティづくりとテクノロジーを通じて日本社会に貢献することの重要性を強調しました。その上で、震災復興に関するコミュニティを応援する取り組みとして、「未来につなぐ、いいね!を贈ろうプロジェクト-日常のつながりを有事のちからに-」の実施を発表しました。

本プロジェクトは、今回のサミットに参加された兵庫県、福島県、熊本県の3つのコミュニティの取り組みや想いに対する人々の「いいね!」という支援や共感の気持ちを、フェイスブック ジャパンが寄付というかたちにして届けるプロジェクトです。3月1日から、フェイスブック ジャパン公式ページと参加された各コミュニティのページで、プロジェクトと各コミュニティの活動を紹介する投稿を、順次行っていきます。3月11日までの、これらの投稿へのエンゲージメント数(「いいね!」を含むリアクションとコメント、シェアを合わせた数)から、1エンゲージメントにつき10円*として、寄付金額を決めます。寄付は、寄付金、物資または広告サポートとして贈られます。

長谷川代表取締役は、このプロジェクトについて、「ユーザーの皆さまが共感したり、いいねと思ったり、応援したいと思った気持ちを、寄付というかたちに変え支援をすることで、コミュニティの皆さまが更に前に進む応援をしたい」と述べた上で、「Facebookができることを考えると、まだ1%か、それにも満たないステージにあると考えている。この先の99%をコミュニティの皆様と共に取り組み、ポジティブなインパクトを日本の社会に与えていきたい。災害という観点において、日本はある意味進んでいるとも言える国だからこそ、世界に対して、人と人とのつながりの力を見せることができるロールモデルになれるよう、我々としてもしっかり取り組んでいきたい」と話しました。

続いてフェイスブック ジャパンの山口琢也公共政策部長が、「復興支援におけるソーシャルメディアの活用」についてプレゼンテーションを行いました。東日本大震災の被害の様子を見た日本人社員から生み出された「セーフティチェック(災害時安否確認機能)」から、どのようにFacebookが災害時に人々を支援する機能を開発・発展させてきたかを紹介し、「引き続き、災害の発生前、発生時、発生後という一連の流れの中で、コミュニティづくりやテクノロジーの活用を通じて支援を強化していきたい」と話しました。

次に、被災地や災害復興支援などに関わるコミュニティの代表者らが、「災害に備え未来を見据えたコミュニティづくりのために」をテーマにトークセッションを行いました。トークセッションには、1995年の阪神淡路大震災を経験し、被災経験を後世に伝える活動と他の被災地での支援活動を行う「阪神淡路大震災1.17希望の灯り(Hands)」代表の藤本真一氏(以下、Hands 藤本さん)、2011年の東日本大震災において、町内全域に避難指示が出された福島県浪江町で、「つながろう なみえ」のFacebookページを運営し、コミュニティ再建に取り組む浪江町役場の近野悟史氏(以下、浪江町役場 近野さん)、2016年の熊本地震で被災した人々が暮らす仮設住宅団地などでの支援を行う「くまもと友救の会」代表理事の松岡亮太氏(以下、くまもと友救の会 松岡さん)が参加し、防災が当たり前の世の中をつくることを目的に活動する「防災ガール」の田中美咲氏(以下、防災ガール 田中さん)がモデレーターを務めました。
Facebookの活用方法について、くまもと友救の会 松岡さんは「災害直後から、各方面ヘ物資を送る活動をしており、その時からFacebook上でグループを形成し、活動報告をしている」と話しました。また、その内容について「誰から受け取ったか、誰に届いたか物資の提供先と受取先の双方が分かるように報告しており、見栄えのする報告だけではなく、言いにくいことも包み隠さず、自分たちの言葉で出している」と続けました。「(Facebookの投稿は)自分たちが出したいものを出すのではなく、いずれ日本のどこかで災害が起こった場合に支援を行うであろう団体のための記録である」と述べました。
浪江町役場 近野さんは、「震災当事役場にはさまざまな情報が集まってくる中で、いかに町民へ正確な情報を届けるか、その課題解決のために公式FBを開設した」と述べ、「昨年3月に町内の一部地域で避難指示解除となり、花火大会のイベントを開催することになった。本来なら半年前に告知をしてという所だが、直前に開催が決まったということもあり、Facebookを使って告知をし、多くの人が集まってくれた。日頃は町内行事や交通情報を伝えており、町民だけではなく町外の人にもご覧頂いている」と話しました。

Hands 藤本さんは、「Handsの元代表で俳優・堀内正美さんという方には、Facebook上に5,000人程友達がいた。彼の発信には皆さん信頼を寄せてくださっていたという所が活用の始まりだった」とふり返りました。「現在は、外向きには大きく二つの方向を取っており、阪神・淡路大震災に関わる活動の報告、もうひとつは他地域での災害支援・支援活動の報告に軸をおいて掲載している。やはり、こういう活動においては信頼を得ることが一番大切だと考えており、Facebook上での投稿が蓄積されることで信頼にも繋がる。」と述べました。また「内向きには、団体の記者クラブがある。報道関係者が150人ほど所属している非公開グループで、そこで情報発信をし、取材の申し込みなどの活動に役立てている。記者は異動も多いが、この3~4年間で150人にまで増えている」と話し、会場を驚かせました。

続くトークテーマとして、それぞれのコミュニティで抱える課題と今回のプロジェクトによって集まった寄付の使い道をたずねた所、くまもと友救の会 松岡さんは「Facebookを通じて発信はしているが、知っている人の間でしか活用できないという課題があり、これはボランティア活動や支援制度の課題でもあると思っている。今後仮設団地をまたいだ支援や、ボランティアの連携、また自治会の方が他の自治会の役員や支援団体とつながっていくために役立てたい。例えばタブレットやスマートフォンを自治会に渡して、Messengerなどでのグループ作成を通じて、ネットワークを築いていきたいと思っている。これまでも各地でネットワーク体は存在しており、『ネット』はできていたが、『ワーク』につながっていなかったので、今後は『ワーク』につながっていく働きかけをしていきたい」と話しました。

浪江町役場 近野さんは、「普通の町に戻していくためには多くの課題があると思っている。帰ってきた人同士をつなげるという活動を担う『一般社団法人 まちづくりなみえ』が今年4月2日に開所される予定であり、その活動資金になるのではと考えている。実際の活動開始後には、町民の方からの要望の実現や、子どもたちのためのイベント開催に使っていきたい」と述べました。会場ではMessengerを通じて一般社団法人 まちづくりなみえ事務局長菅家清進さんにビデオ通話をしました。菅家さんに今後の意気込みを聞いた所、「震災で町民がゼロになった町だが、一年経ち帰還された人もいる。そのような人々の思いを大切にしながら、新たな浪江町を作っていきたい」と話しました。

Hands 藤本さんは、阪神・淡路大震災が発生から23年をむかえ、震災当時のことを知らない世代も増えている中で、「SNSを使っての若い人たちを巻き込むこと、またそれがネットであればあるほど、信用を勝ち得るのが難しい」と述べ、「信用を獲得するために、例えばFacebookのおすみつきみたいなものがあれば、安心を得られ、団体に加わってくれるのではないか。その団体に入ると、横とのつながりも生まれるので、こういった場所で団体同士が話すこともできるし、災害時も活用されていくのでは」と続けました。「阪神・淡路大震災発生当時はアナログなので、写真もネガ。それをまずデジタル化する所からスタートしており、震災を知らない若い世代の人たちと一緒にデジタルアーカイブにしている。若い世代の子たちは、経験者から話を聞いて編集し、教材に変えていっている。というのも学校の先生も震災を知らない人が多い。先生たちにとって使いやすい教材にすることで、震災を知らない世代から知らない世代に伝えていくための活動をしていきたい」と話し、「震災を知っている世代と知らない世代の架け橋となり、結びつけていくことが大切だ」と述べました。
最後に、それぞれに今後の展望を聞いた所、くまもと友救の会 松岡さんは「今日、初めて他のコミュニティの皆さんにお会いしたが、いろいろな被災地域においてSNSが活用されていて、それぞれ個別に活動し留まるのではなく、それぞれがつながることで相乗的な効果が生まれると思った。今後のコミュニティとしての目標は、仮設団地の自治会同士を、スマートフォンを活用して通じてつないでいきたい」とし、「何ができるかわからないから何もしない、ではなく、考えることは誰でもできる。例えばどこかの活動のページをシェアすることはできる。それだけしかできなくても、それができるし、つながっていく。一人一人ができることがつながった時には、大きな力を発揮する。そのことを、自分は熊本で活動を続ける中で実感してきた。それぞれのできることをまずは考えて、見つけたら、それを全力でやってもらいたい」と話しました。

浪江町役場 近野さんは「Facebookには、震災発生からの記録がずっと残っており、教科書がいらないくらい情報が集まっていると感じた。我々もそうなれるよう、復興を成し得た町として発信していけるよう、頑張っていきたい。コミュニティが目指すゴールとしては、さまざまなつながりを構築しなければならない。その中で、町に帰る、帰らないという所で対立構造にならないようにすることや、風化や世代交代も課題も今後挙がってくる」とし、震災を機に町を離れることとなってしまったり震災後避難先で生まれた、浪江で育っていない子供達に浪江町のことを伝えていく重要性についても強調しました。
Hands 藤本さんは「今日集まった人は関西人が多く、阪神淡路大震災を経験して、それぞれに何かしたいという思いがここに集っているということだろうと思う。まずはここに来れたことが嬉しい。災害先進国という言い方が正しいかどうかは分からないが、そこで培われたノウハウは必ず世界の災害に役立てると思う。神戸の人たちはそう思っている」と話しました。

モデレーターを努めた防災ガール 田中さんからは、自身の活動の中でアジア諸国の被災地域における防災のリーダー達とコミュニケーションを取ることが多いと述べ、「彼らも日本の復興や防災にすごく興味を持っており、防災のためのツアーを組んで欲しいと言われるくらい世界中から注目を集めている」と話しました。「被災された方やコミュニティがFacebookというプラットフォームを通して再構築されていることはとても尊いことだと思う。今後も3月に限らず、諦めずに発信をしていきたい。まずはそれぞれのコミュニティのFacebookページへのいいね!やシェアも防災につながるので続けて欲しい」と述べました。

Facebookではこれからも、「コミュニティづくりを応援し、人と人がより身近になる世界を実現する」というミッションのもと、災害発生時だけに限らず、将来起こりうる災害に対しても、協力し備えることができるコミュニティづくりを応援していきたいと考えています。

◎ライブ動画
 https://www.facebook.com/bosaigirl/videos/1597745147006855/

 
 
 
(2)エバラ食品「黄金の味」(焼肉のタレ)配布(竹田記入)
本日は下記の仮設へ「黄金の味」をご提供させて頂きました。
◎飯野小仮設団地 36本 
◎馬水東道仮設団地 60本
◎安永仮設団地 60本

活動中総移動距離42,950㎞